Biologicalな思考を楽しむ

アカデミアと社会の境界線を再認したい

生物学を考える

いきなりですが「生物学とは?」と聞かれ一体何を思いますでしょうか?

 

一般的には植物を詳しく知っている人・薬を作っている人・お医者さん...と職業から類推する人が多いと思いますが、一方でやや専門的なことを学んでおり、細胞・タンパク質・遺伝子、などなど多くのことを思いつくのかと思います。実際に教授など生物学を仕事にされている方には、自分なりの哲学を答えに持っている方も多いと思います。

 

さて、この質問から何を言いたいのかと言いますと、自分が理解している・使っている単語一つにおいても自分の人生から得た体験や人生観が自ずと反映され、上述のように答えが変わってくるという点です。(A)

 

現在、博士後期課程やポスドク(通称アカデミア)にまつわる状況は(家計の経済的にも)よくないというマイナスイメージの強い報道やブログ記事などが見られます。その一方で、「大学の基礎研究にはお金も人も不足し日本が強みとしていた技術立国の地位が脅かされる」・「将来日本からノーベル賞が出なくなる」といった報道や子供のなりたい職業ランキングで科学者が上位に来ているなど多くのニュースを見たことがある方も多いと思います。(B)

 

さて、(A)の段落を踏まえて(B)を見直して見てください。自分が把握している言葉の意味は、実際に体験したことよりも本・インターネットサイト(日経・Wikipediaなど)・ニュースなどから間接的に得た情報に強くバイアスがかかり、実際の認識と現状がずれている可能性も考えられます。では、少しは実際に生物学を研究をしている私の答えはと言いますと、「生物学とは思考そのもの」ということができるでしょう。そして、この定義を持ってアカデミアの世界を見ても、一般的な回答よりも良い確度で批判ができると思います。しかし、このことを理解するのはとても難しく、興味がある人でも例えば5年は真面目に研究活動を自分でしないといけないかもしれません。

 

そこで、(ざっくりですが)生物学ひいてはアカデミアとはなんなのか?、若輩者ですがこのブログで書き記し多くの方に「なぜ基礎研究をしているのか」・「研究とはなんなのか」をお伝えできたらなと思い文章化を目指しています。特に、アカデミアはビジネスではありませんのでビジネスを専門している方、そしてコンサルティングなどを行なっている方からは実態を正確に捉えられないかもしれません。しかし時代も変わり、アカデミはアカデミアだからという理由で旧態依然でいいのかと言われたら私はそうではないと思っています。そこで、私の最終目標としてアカデミアの存在価値を最大化し社会とシナジー効果を持たせたいと考えています。

 

最後に、私が学部時代によく眺めていたブログに「有機化学美術館」・「EMANの物理学」というそれぞれ有機化学・物理学に対するビジュアルエイドの良いサイトがありました。では生物学はどうでしょうか?というと私が把握している限り見つかりません。生物学の本質を捉えるためにもわかりやすく書き記し、一人でも多くの方(特に若い方に)に興味を持ってもらいたいと思っております。基礎研究がより盛んになることを目指してブログの筆を進めたいと思っています。

 

補注

日本はプログラミング後進国と言われています。

関数とはとても便利ですから、ブログの内容もかけるなら数式にしていかに示しておきます。数学がよくわからない人の助けになればいいなと思います。

 

(A)に関しては 

言語関数(引数に単語や文章)を定義して見ましょう。

 

言語(引数) = 定義 (range : dictionary) ・・・(#)

(wikipedia大辞林などはこのようにしておいていいと思います)

 

試しにdatabaseをwipipediaにして生物学を引いてみると

 

言語(生物学) = 生物学(せいぶつがく、biologybiologia[1])とは、生命現象を研究する、自然科学の一分野である[2]。広義には医学農学など応用科学総合科学も含み[要出典]、狭義には基礎科学理学)の部分を指す[要出典]。一般的には後者の意味で用いられることが多い。類義語として生命科学生物科学がある(後述の#「生物学」と「生命科学」参照)。

 

となるわけですね。

 

さて人間はというと、上述のように答える人はほとんどいないように思います。そこで(#)は以下のようであると考えられます。

 

言語(単語) = 定義 + 自分の獲得情報 + 外部知識     ・・・(##)

 

 

このように言語関数のとりうる解は、人間の脳や時代によって体の拡大がおきます。

人間経験したことはすべ人生に役立ちますから(実感ベースで申し訳ないです)

 

Σ言語human > Σ言語dictionary

 

が成り立ちます。辞書的な意味の単語で張る言語空間はとても小さく、説得力が低いことになりますが、一方でばらつきという意味では人の世界の方が大きくなります。そこで、なんとか規格化できる関数で割り評価できるようにしたいのですがアカデミアに対してはほとんど見受けられないのでこのブログで挑戦しています。

 

そして、この関数の面白いところは、ある本に関してこの関数を適応して見たとしましょう。

 

Σ(本) = Σ(定義) + Σ(自分の獲得情報) + Σ(外部知識)

 

と和を分解できます。この時

a ) Σ(定義) + Σ(外部知識)  >> Σ(自分の獲得情報) 

という本は新聞かwikipediaなどか、通ぶっている本かもしれませんね。

b ) Σ(本) = Σ(外部知識)

いわゆる剽窃か、あんまり中身のないほんということでしょうか

c)Σ(本) =  Σ(自分の獲得情報)

これは読んで難しい本だと思います。例えば剣術の心得がないのに「五輪の書」(宮本武蔵著)を読んで理解しようと試みても、道を極めることの難しさを(一般向けに)説いた「地の書」は理解できるかもしれませんが、指南書の「水の書」以降は難しいのかもしれません。しかし、先人が学んできたとても大切なことが書いてある本で、年月が過ぎた後に読みかえすと思わぬ宝物があるかもしれません。例えば、岩波文庫の「五輪の書」の解説には、同じく能楽の道を極めた世阿弥の書(花伝書または風姿花伝)の単語の意味から引用されている部分もあります。物事を正しく理解するには多くのことを自分で経験し、自分の道を生きることが必要だと暗示しているのかもしれません。

 

 

このブログでは

Σ(ブログ) =  Σ(自分の獲得情報)

になりがちですが、なんとか一般的に理解ができるように工夫して伝えたいと思っています。